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お母さんのルーツ

お盆というのは留守番が多くていやになる。退屈な毎日だ。
お母さんは14日と16日の2日も奈良へお墓参り(T_T)/~~~
これはお母さんのお母さん・・・つまりワタシのお祖母ちゃんが明治44年に生まれてお嫁に行くまで住んでいたところ。
奈良県吉野の山奥・・・西山というところにある。過疎化が進んで回りに人家は殆ど無い。

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お嫁に行って、お母さん他2名が生まれた。お母さんは小さい頃このお祖母ちゃんちに遊びに来ては、よくこの庫裏の裏の小さな溝川で沢蟹をつかまえたり、アリ地獄にアリを落としたり、どんな虫が中に潜んでいるのか?掘り返してみたりして遊んだそうな・・・(残酷だったんだなぁ・・)
そのアリ地獄がそっくりそのまま同じ場所にあった・・・も50年以上ダヨ\(◎o◎)/!

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これは本堂の廊下からの風景・・・。本堂の障子を開け放つと風がよく通り、昼寝のかっこうの場所だったんだって・・・(本堂って昼寝するとこ?)

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それにしてもスッゴイ田舎だなぁ・・

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南北朝時代のあるとき楠木正頼という人が馬に乗ってお寺の下の川までやってきたが川が凍っていて渡れないので近くの家の人達が氷を割って渡るのを助けたことが古文書に書かれている。その人は楠木正成の従兄弟で正成の秘書のような役割をしていたが、足利尊氏と戦った湊川の合戦のとき正成から生き残り組に指名された。
天台宗だったこのお寺に入り出家して「安満左馬尉明武入道了願」と名乗った。この人は摂津の国高槻の出身で高槻には今も「安満」(あま)の地名があるらしい。
だからお母さんのお祖母ちゃんの家の姓は代々「安満」なのだ。
お祖父ちゃんは24代目の住職・・
でも村の過疎化には勝てず、25代目であるお母さんの叔父さんは生活のためハワイの西本願寺ホノルル別院に行ってしまった。そしてアメリカ国民になりもう帰ってこないから、24代目で宝林寺の安満家は終わってしまった。了願法師もさぞ嘆いていることだろう。
それにしても高槻からこんな吉野の山奥にどうしてやってきたのか?
楠木正成が後醍醐天皇の側だったからだろうか?
でも、南朝のあった吉野山とはかなり離れている。

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了願法師の墓石に書かれている没年は1338年で楠木正成が足利尊氏に敗れ自害したのが1336年だから、合戦の後2年しか生きていなかったわけだ。その後も短命な人が多くお祖父ちゃんも60歳で死んでいる。

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火事もあったりして本堂も庫裏も何度か建て直されたようだけど、お母さんの小さい頃は境内に大きな松の木もあり、本堂の天井裏にはムササビが住み着いて、本堂の屋根から松の木に飛び移る風呂敷を広げたような姿が夜になると見られたらしい。
このお墓にもいつまで人がお参りすることやら・・・諸行無常なり。
2007年08月17日 | Comments(0) | 未分類
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